2007/02/27

F1のニューコンセプト

Honda Racing F1 Teamが、モータースポーツの新しい1ページを開いた。 マシンへのスポンサーロゴの露出を廃止し、環境問題に直面する地球のみ! そして、スポンサーへの見返りとして、マシン及びロゴの使用をライセンス化することで、マーケティングツールとしての活用させる。 更に最も興味深いのは、ウェブサイト上で、一般の人々がマシンのピクセルを購入することで参加できるチャリティーを展開するというものだ。 これで誰でも夢のF1スポンサードが現実のものとなる!    
Honda Racing F1 Team CEO:Nick Fry 「気候変動は、現在地球が直面する最も大きな問題のひとつであり、F1界においても、この問題は避けて通れない。むしろ、全世界で注目され最先端技術を誇るF1だからこそ、重要な役割を果たすことができると考える。」
  馬鹿でかいエンジンを高回転でドライブして、ひたすら速さを求める時代は完全に終わった。 コンパクトな車で如何に効率よく速く走れるか。その結果、当然CO2排出量の削減につながる。 世界最高峰のモータスポーツでエコ戦略をしてくるとは、世界中の自動車メーカーも腰を抜かしただろう。   しかし、何を言っても、ポディウムの頂点に立たなければ、何も証明されない。 今年こそは!HONDA!!

2007/02/25

Wifeの呼称

人前でWifeのことをなんて呼ぶ?   「妻」って言うのは、なんか偉そうでやだな。   「上さん」って言うのも所帯じみてて嫌だな。でも、Wifeの事を話題にするのだから所帯持ちであることは明白。   坂本龍一が矢野顕子のことを「奥さん」と呼んでいたのがとても好きだった。 可愛らしくもあり、リスペクトしている風でもあり、所帯じみたテイストが中和される。   Wifeのことを、 人前では「奥さん」 自分の両親には旧姓で。 義両親のまえでは「ママ」   どーでもいい。

2007/02/11

田舎者というマジョリティー

私は、ある一定の年齢に達し、都市で生活するようになると、清涼飲料水を合言葉に素晴らしいコミュニティーを構成できると本気で信じていた。     80年代の10代の田舎者達のほとんどは、きっとそう思っていたに違いない。 自分の年齢と、今いる場所では起こりえない状況が、15秒CMのなかでキラキラと映し出されている。 “さわやかエヴリデイ”なのである。 実際は、何とか都市で生活できるようになっても、侘しくて埃っぽい毎日で、“さわやかエヴリデイ”が嘘であることを体感することになる。   今、全国の若者がこのCMを見ても「キモイ」「ウザイ」の一言で終わりだろう。 そう、世界中が同じ情報を共有している世界では、“さわやかエヴリデイ”が嘘であることがすぐにわかってしまう。   ある商品をプロモーションするときには、田舎者に訴求すれば良かったのだ。なぜなら、人口のほとんどが田舎者だからだ。 田舎者が憧れる物など、都市で生活していれば手に取るようにわかった。   今、田舎者というマジョリティーが消滅してしまったので、単純な方程式ではプロモーションがしにくくなった。

2007/02/10

南口教室

甲府市南口町にあるから南口教室。 小学校4年の時に、あまりに成績が悪いのを気にして強制的に入れられた学習塾。   そこは、老夫婦が住むごく一般的な木造2階建ての民家の2階を借りて存在していた。 子供が巣立ってしまったのか、空いた部屋を有効活用したのだろう。 教室は2つで、畳にカーペットを敷いて、その上に長机を3列並べ、塾生はパイプ椅子に座って勉強した。小学4年生から中学3年生が時間帯をずらして受講した。(後に事業拡大して伊勢ゼミナールになり甲斐ゼミナールに吸収され高校3年生まで)   講師は2人で、筑波大を出て帰郷してここを立ち上げたらしい。 休み時間になると、数学講師はアコースティックギターでビートルズを聴かせてくれた。 英語の講師は、「よ〜し、今日はペヤングパーティーだ」と言うと、塾生に小銭を渡し即席ソース焼きそばを買いに行かせ、教室で勉強もしないみんなで食べた。小学生のハートは安価にゲットされたわけだ。 しかし、ここに来なければ、学生運動をかじった若者に出会うこともなく、ジャングルジムで顔に粉吹いたガキと遊ぶだけだったろう。   そんな密かな楽しみも手伝って、休まずに通い続けた。 小学校4年から中学の数学(オリジン)と英語(教科書)をやっていたので、中学校に入ったときは、他のバカ共とは大きくアドバンテージを持っていた。   塾では、中学に入っても同じペースで進んでいたので、常にアドバンテージを保つはずだったが、高校2年で貯金を使い果たしてしまった。つまり、高校に入ってから塾から脚が遠のき、部活だの酒だの女だの・・・。   そして、今に至ると・・・。   とにかく、私の人生であの学習塾の体験はかけがえのないものとなった。   ああいう、グシャっと凝縮された、得体の知れない文化のシチューみたいな場所ってのは、今は探すのが難しいんだろうな。ジャンルが細分化されすぎて、しかもそれぞれのコミュニティーは排他的だ

2007/02/02

いくつになっても

Y.M.O.はもういない。   初めてY.M.O.に出会ったのが1980年の夏、Solid State Survivorがオリコンチャートを駆け上っていた頃。 当時小学4年生だった私が通っていた学習塾の夏の合宿での出来事。 小学4年生から中学3年生の塾生が一緒になって、四尾連湖へのジャングルのような道を徒歩で向かうのだが、私の時前を歩いていた中3の先輩がラジカセを抱えていた。 彼は履き込まれたタイトなストレートジーンズに、クロと赤の大きめのボーダーTシャツ、デニムの帽子には"APOLLO"の文字が刺繍してあった。レイバンのレプリカのサングラスもかけていた。 そのラジカセから流れていた曲がRYDEENだった。 「まことちゃん」と「サーキットの狼」を読んで喜んでいた少年には、まさに雷に撃たれたたようなショックだった。 あの瞬間から私の人生の方向が変わってしまった。   そして今、Y.M.O.は実際にはもういない。 でも、3人集まっている姿を見るとワクワクする。 今でも当時の音源は良く聴く。 あの時のRYDEENやAbsolute Ego Danceは、今でも私の中でループし続けている。   Y.M.O.は変わった。 私は変わっていない。
RYDEEN 79/07 ダウンロード開始! イエロー・マジック・オーケストラ - RYDEEN 79/07 - Single